年表
とらやは古くより御所御用を勤めていました。創業から現在までのあゆみをご紹介します。
1501年〜1700年
室町時代後期
京都で創業する。
1586年(天正14年)
後陽成天皇ご即位。
御在位中から御所の御用を承る。1701年(元禄14年)当時、京都御所出入りの御用商人の御用開始時期を記した文書「御出入商人中所附」(1754年)からわかる。
御在位中から御所の御用を承る。1701年(元禄14年)当時、京都御所出入りの御用商人の御用開始時期を記した文書「御出入商人中所附」(1754年)からわかる。
1600年(慶長5年)
京都妙心寺の歴史を記した『正法山誌(しょうぼうさんし)』に、関ケ原の戦の折、西軍の犬山城主・石河備前守(いしこびぜんのかみ)を虎屋がかくまった故事が見える。「市豪虎屋」と記されていることから、商いぶりが想像される。
この頃、既に虎屋と名乗っていたことがわかる。当時の店主、黒川円仲(くろかわえんちゅう)を中興の祖とし、現当主は18代目にあたる。
この頃、既に虎屋と名乗っていたことがわかる。当時の店主、黒川円仲(くろかわえんちゅう)を中興の祖とし、現当主は18代目にあたる。
1628年(寛永5年)
店舗の敷地(京都市上京区烏丸一条西入・現在の虎屋菓寮の所在地)を買い増した証文(土地売券)が残っている。
1635年(寛永12年)
虎屋の御用記録(注文控え)の中で最も古い「院御所様行幸之御菓子通」が残る。
- 「やうかん、あるへいたう、らくがん、大まん、まめあめ」などの菓子名が記され、様々な菓子をつくっていたことがうかがえる。
1672年(寛文12年)
光冨、朝廷より近江大掾に任ぜられる。(1700年(元禄13年)5代となる)
- 近江大掾とは近江国を治めた国司の役人の第三位の官職名。江戸時代には実態がなくなり、名誉的称号として朝廷より御用商人へ授与された。なお、宮家や公家から授与される場合もあった。
1695年(元禄8年)
菓子の意匠を描いた菓子見本帳の中で、年記のあるものとしては最も古いと考えられる「御菓子之畫圖」が作成される。
お得意様に預け、注文を頂くカタログとして使われた。
描かれた菓子の中には、現在でも作られているものもある。
お得意様に預け、注文を頂くカタログとして使われた。
描かれた菓子の中には、現在でも作られているものもある。
1701年〜1800年
1705年(宝永2年)
重要な御用をまとめた帳面「諸方御用留帳」が残る。
御所の正月の行事食の菱花葩の記録ほか、京都の豪商三井三郎助や画人尾形光琳などの名が見える。
御所の正月の行事食の菱花葩の記録ほか、京都の豪商三井三郎助や画人尾形光琳などの名が見える。
虎屋看板(江戸時代)は、かつて店頭に置かれていた看板。
制作年代は不明。1824年(文政7年)に一部補修された。
中央は虎、右上に州浜と羊羹を配し、下の円形は饅頭をかたどっている。かつては虎は着色されており、目玉が動いた。
饅頭の部分は1824年(文政7年)の後補である。
現在は創立記念日にお祀りしている。
制作年代は不明。1824年(文政7年)に一部補修された。
中央は虎、右上に州浜と羊羹を配し、下の円形は饅頭をかたどっている。かつては虎は着色されており、目玉が動いた。
饅頭の部分は1824年(文政7年)の後補である。
現在は創立記念日にお祀りしている。
1801年〜1900年
1805年(文化2年)
9代 光利 「掟書」を策定する。
1788年(天明8年)の大火以降、京都の経済は停滞を余儀なくされ、虎屋の経営も悪化していた。9代光利は、危機に瀕した経営を立て直すため店制改革に臨み、
1805年(文化2年)には、店員が守るべき基本的な姿勢や考え方、行動規準を示した「掟書」を策定している。この「掟書」は天正年間(1573年~1592年)につくられたものを書き改めたものと記されている。
1788年(天明8年)の大火以降、京都の経済は停滞を余儀なくされ、虎屋の経営も悪化していた。9代光利は、危機に瀕した経営を立て直すため店制改革に臨み、
1805年(文化2年)には、店員が守るべき基本的な姿勢や考え方、行動規準を示した「掟書」を策定している。この「掟書」は天正年間(1573年~1592年)につくられたものを書き改めたものと記されている。
1844年(天保15年)
この頃、後陽成天皇のご在位中から虎屋とともに菓子御用を勤めていた二口屋を吸収する。
二口屋と虎屋とは、御所に対する献上や菓子屋仲間への対応でも常に行動をともにしていた。
これによって虎屋は経営規模を拡大した。
二口屋と虎屋とは、御所に対する献上や菓子屋仲間への対応でも常に行動をともにしていた。
これによって虎屋は経営規模を拡大した。
1869年(明治2年)
東京遷都にともない、当時の店主12代光正は、御所御用の菓子司として、京都の店はそのままに、東京へ進出する。
神田、丸の内、八重洲へと移転。
神田、丸の内、八重洲へと移転。
1879年(明治12年)
銀座に店舗を開設、後に赤坂表(元赤坂1丁目)に移転する。
1895年(明治28年)
赤坂裏3丁目(現在の東京工場所在地)へ移転する。
当時は店の規模が小さかったこともあり、店舗と製造部門が同じ敷地の中に設けられていた。
当時は店の規模が小さかったこともあり、店舗と製造部門が同じ敷地の中に設けられていた。
1901年〜2000年
1918年(大正7年)
現在も使用している菓子見本帳が作成される。
1922年(大正11年)
黒川家と親交のあった、富岡鉄斎に画室改築の折、京都店の離れと茶室を住居として提供したと伝えられる。
1927年(昭和2年)
群馬県利根郡農会に白小豆の栽培を委託する。
- その後、1966年(昭和41年)、指定農場・群馬農場を設立させる。自社が求める高品質な原材料を、栽培育成にまでさかのぼって確保しようという決断であった。
1932年(昭和7年)
赤坂表町へ店舗を移転する。
1935年(昭和10年)
この年以降、戦時下、軍関係の注文が目立つようになる。
- 主に納入されたのは羊羹で、海軍用は円筒形の「海の勲(いさおし)」、陸軍用は四角形の「陸の誉(くがのほまれ)」であった。これらは出征した兵士に配られるため携帯できるよう小ぶりに作られていた。
1936年(昭和11年)
男子店員が召集などで減ったため、初の女子店員を採用する。
1938年(昭和13年)
伝馬町御用場(工場)を旧店舗跡地に竣工する。
1946年(昭和21年)
5月25日 日本橋に喫茶「みかく」を開店(1948年9月29日に日本橋店となる)
7月11日 銀座に喫茶「茜」を開店(1947年3月5日に銀座店となる)
7月11日 銀座に喫茶「茜」を開店(1947年3月5日に銀座店となる)
1947年(昭和22年)
3月5日 銀座店を開店する。
5月24日虎屋商工株式会社を設立する。(翌年、「株式会社虎屋」に社名変更)
5月24日虎屋商工株式会社を設立する。(翌年、「株式会社虎屋」に社名変更)
1948年(昭和23年)
9月29日 日本橋店を開店する。
1952年(昭和27年)
8月8日 四条店を開店する。
1953年(昭和28年)
1月31日 新丸ビル店を開店する。(2004年1月31日 閉店)
11月16日 東京工場を改築する。
11月16日 東京工場を改築する。
1960年(昭和35年)
11月28日 京都工場を稼動する。
1962年(昭和37年)
5月29日 現在の東武池袋本店に売店を設ける。(デパート出店第一号)
1964年(昭和39年)
9月9日 本社ビルを新築竣工する。赤坂本店を開店する。(喫茶併設)
- 前年東京オリンピック開催に伴う道路拡張のため、表町店を移転した。
1969年(昭和44年)
9月10日 東京工場を竣工する。
1973年(昭和48年)
1976年(昭和51年)
5月25日 職能制度導入により男女同一賃金、専門職制度を導入する。
1978年(昭和53年)
9月1日 御殿場工場を竣工する。
- おいしい和菓子を作るために良い水を求め、富士山麓の地に羊羹と餡の専門工場を建設した。
1979年(昭和54年)
4月27日 一条店を移転竣工する。
- それまで店舗と製造部門が同じ敷地に設けられていた京都店から、菓寮を併設した店舗を烏丸通一条角に移した。新築竣工
1980年(昭和55年)
7月23日 御殿場店を開店する。(菓寮併設)
10月6日 パリ店を開店する。
10月6日 パリ店を開店する。
1981年(昭和56年)
6月2日 京都工場を改築する。同時に、菓寮が現在の地に移転する。
1982年(昭和57年)
4月8日 グループ会社(株)虎玄を設立する。(虎屋の100%出資子会社としてスタート)
1983年(昭和58年)
4月1日 女子再雇用ライセンス制度を導入(現在は男女共に適用)
1985年(昭和60年)
11月1日 虎屋第2ビル(東京工場を含む)を竣工する。
1991年(平成3年)
2月19日 17代 黒川光博 代表取締役社長に就任する。
1992年(平成4年)
10月16日 Egg21(社員自己啓発支援制度) を導入する。
- 社員の自己啓発を支援する目的で導入した。自己の成長を望み、夢をかなえて充実した人生をおくりたい人のために、業務との関連の有無を問わず、会社が時間的、経済的に支援する制度である。
1993年(平成5年)
4月27日 ニューヨーク店を開店(2003年10月31日 閉店)
9月9日 新御殿場工場を竣工する。(生産量の増大に伴い改築)
9月9日 新御殿場工場を竣工する。(生産量の増大に伴い改築)
1999年(平成11年)
4月1日 介護休業制度を導入する。
10月1日 とらやホームページを開設する。
10月1日 とらやホームページを開設する。
2000年(平成12年)
5月1日 子女教育休暇制度を導入する。
- 社員の子女教育に関する活動への関与を促進するための制度である。
2001年〜
2001年(平成13年)
4月13日 御殿場工場ISO14001認証を取得する。
2002年(平成14年)
5月1日 子女看護休暇制度を導入する。
2003年(平成15年)
4月25日 TORAYACAFE六本木ヒルズ店を開店する。(虎玄が運営、2017年1月27日 閉店)
6月24日 虎屋総合研究所を竣工する。
11月21日 社史『虎屋の五世紀』刊行する。
6月24日 虎屋総合研究所を竣工する。
- 自社商品や和菓子に使用している原材料の研究だけに留まることなく、包材や廃棄物等の環境問題への取り組み、虎屋グループ全体に関わる商品や原材料の品質管理等も含めた、幅広い総合的な研究することを目的に、御殿場工場の敷地内に設立した。
11月21日 社史『虎屋の五世紀』刊行する。
2004年(平成16年)
4月1日 短縮勤務社員を雇用形態に導入する。
8月20日 帝国ホテル店を開店する。(菓寮併設)
8月20日 帝国ホテル店を開店する。(菓寮併設)
2005年(平成17年)
11月11日 横浜ランドマークプラザ店(菓寮併設)を開店する。(2012年8月31日閉店)
2006年(平成18年)
2月11日 TORAYACAFE表参道ヒルズ店を開店する。(虎玄が運営、2017年5月14日 閉店)
2007年(平成19年)
3月30日 東京ミッドタウン店を開店する。(菓寮併設)
- 和菓子だけではない和の様々な魅力や価値も広くお伝えしたいと、初めてギャラリーを併設した店舗を開設。和菓子関連の雑貨も販売している。
2008年(平成20年)
1月31日 京都工場を京都府南丹市に移し、新築竣工する。
2009年(平成21年)
5月15日 旧京都工場跡地に虎屋菓寮京都店、製造部門、事務棟、ギャラリーを併設した京都店を新装する。
- 永い歴史と現代との結び目として新たにギャラリーを併設し、虎屋発祥の地である京都を、新たな文化を創造・発信する地と捉えている。
2010年(平成22年)
6月1日 介護休暇制度を導入する。
8月31日 京都府南丹市と「大規模災害時応援協定」を締結。
10月6日 とらやパリ店30周年
8月31日 京都府南丹市と「大規模災害時応援協定」を締結。
10月6日 とらやパリ店30周年
2011年(平成23年)
2月26日 特定非営利法人ファミリー・ビジネス・ネットワーク・ジャパンより、「第4回ファミリー・ビジネス大賞」を受賞する。
6月14日 TORAYA CAFE青山店を開店する。(虎玄が運営)
6月14日 TORAYA CAFE青山店を開店する。(虎玄が運営)
2012年(平成24年)
10月3日 東京ステーションホテルへTORAYA TOKYOを開店する。
- TORAYA TOKYO:「とらや」「とらやパリ店」「TORAYACAFE」「とらや工房」の代表的な商品を一堂に集めた初のコンセプトショップ。
2013年(平成25年)
3月1日 浅草松屋売店をリニューアルオープンする。(初のセルフサービスの喫茶を併設)
2015年(平成27年)
6月22日 虎屋グループ公式サイト をリニューアルする。とらや パリ店リニューアルオープン。
10月8日 赤坂店および虎屋菓寮 赤坂店は、建て替えに伴い休業。
10月8日 赤坂店および虎屋菓寮 赤坂店は、建て替えに伴い休業。
2016年(平成28年)
4月15日 トラヤカフェ・あんスタンド新宿店 開店(虎玄が運営)
2017年(平成29年)
10月22日 トラヤカフェ・あんスタンド北青山店 開店(虎玄が運営)
2018年(平成30年)
7月2日 TORAYA AOYAMA 開店
11月1日 京都四條南座店 開店
11月25日 虎梅屋 開店
- 「スポーツのお供に、羊羹を」がコンセプトの、期間限定店舗。2021年1月31日閉店。
8月9日 トラヤカフェ・あんスタンド銀座店開店(虎玄が運営。2020年9月29日閉店)
11月1日 京都四條南座店 開店
11月25日 虎梅屋 開店
- 年齢を重ねても働く意欲や元気のある人達が、『人生の中で培ってきた経験・知恵を生かして、無理せず楽しく働く』ための和菓子製造販売の店。
2020年(令和2年)
6月29日 18代 黒川光晴 代表取締役社長に就任する。17代 黒川光博代表取締役会長に就任する。
10月16日 虎屋銀座ビルの建て替えに伴い、銀座店および虎屋菓寮銀座店休業。
10月16日 虎屋銀座ビルの建て替えに伴い、銀座店および虎屋菓寮銀座店休業。
2021年(令和3年)
3月1日「トラヤカフェ」および「トラヤカフェ・あんスタンド」を統合し、「トラヤあんスタンド」へと変更。
2024年(令和6年)
4月11日 建て替えを行なっていた虎屋銀座ビルをTORAYA Ginza Buildingとして竣工する。
銀座店および虎屋菓寮 銀座店をTORAYA GINZAとしてリニューアルオープン。
銀座店および虎屋菓寮 銀座店をTORAYA GINZAとしてリニューアルオープン。