和菓子とは
歴史
今でも果物を水菓子というように、本来、菓子は木の実や果物を指す言葉でした。甘い食べ物が少なかった時代は、栗や干し柿も貴重な甘味であり、現在私たちのいう「菓子」に近いものと感じていたことでしょう。また、日本の菓子のもうひとつの原形として、米や粟、稗(ひえ)などの穀物を加工した餅や団子も考えられます。これら日本古来の食べ物に外来の食べ物の影響が加わり、和菓子の歴史は変化に富んだものになっていきました。
はじめに伝えられたのは、飛鳥~平安時代、遣唐使などによって中国からもたらされた唐菓子(とうがし)です。唐菓子の多くは米や麦の粉の生地を形作り、油で揚げたものでした。2番目は、鎌倉~室町時代にかけて禅宗の僧侶たちがもたらした点心(てんじん)。点心とは朝夕の食事の間に摂る小食のことで、饅頭や羊羹の原形がこの時伝わったのです。そして3番目が、ポルトガル・スペインとの交流を通じて室町時代末期~江戸時代初期に入ってきた南蛮菓子。カステラ、金平糖、有平糖(あるへいとう)、ボーロなどがありました。
これら3つの影響を受け、江戸時代、色・形・名前ともに日本独自の菓子が作られるようになります。元禄期(1688~1704)頃には、京都を中心に高価な白砂糖を使用し、四季折々の風物にちなんだ意匠や銘をもつ菓子が広まりました。これらは「上菓子(じょうがし)」と呼ばれ、現在の上生菓子の原形とされます。一方、江戸で大福やきんつばなどが作られたように、各地でも独自の菓子文化が発展し、ここに和菓子は一応の完成を見たといえるでしょう。